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第17章 19世紀半ば以前の東アジアの地域交流(1)

(司会 區建英)

報告

漢唐以来の中国思想と東アジア·ヨーロッパとの文化関係

北京師範大学教授 張涛

中国の伝統思想は殷周の時代に芽生え、春秋戦国時代に老子、孔子、孫子、墨子など重要な思想家が多く現れ、中国思想文化の発展を大いに推進した。漢武帝の時に、儒家以外の諸子百家を排斥し、儒学を国家教学として据えた。以来、儒家学説は中国伝統社会の統治思想と正統的な学術となった。漢の末期以降、老子および道家思想を根源とする道教は次第に形成した。魏晋の時、道家思想と儒家思想を融合した玄学が盛んに興った。その間に、外来の仏教思想も知らず知らずのうちに芽生えた。しかし、伝統的な儒家、道家等の思想がその中に融合し、それを中国化し民族化し、唐代に至って禅宗などの中国化した仏教学派が相次いで形成した。宋明時代には、多くの学者が開放的な視野で仏教や老子の思想を吸収し、伝統的な儒学について再構築を行い、理学すなわち道学を形成した。その中にも程朱理学(朱子学)と陸王心学(陽明学)に分かれた。清代には、朴学すなわち漢学、考証学が興った。漢唐以来の中国伝統思想文化の発展は、儒(儒家あるいは儒教)、釈(仏教)、道(道家ないし道教)が相互論争、相互摂取、総合融合の過程であり、つまり、外来文化を絶えず吸取し、無限の生命力を獲得した過程であると言っても過言ではない。

漢唐から明末にかけて、中国の伝統思想文化と東アジアの文化との交流は、日本および朝鮮半島に深い影響を与えた。これは特に儒学と仏教に現われたが、道教にも一定の影響が見られた。例えば、儒学において、応仁天皇16年(西暦285年、晋武帝太康6年)、朝鮮半島の百済国の人·王仁が日本に渡来し、朝廷に『論語』10巻を献上した。推古天皇12年(西暦604年、隋文帝仁寿4年)、新政を進める聖德太子は儒学を中心として『憲法17条』を制定し、その中で「和を貴と為し」、「礼を本と為す」などの儒学の倫理規範を明確に提唱した。大宝年間(唐中宗嗣聖年間)、文武天皇は『大宝律令』を制定し、儒学の国家教育における地位、組織体制および教学内容について明確な規定を行った。奈良、平安時代において、儒学は一層繁栄した。中国の唐玄宗が孔子を文宣王と封ずたことに続いて、日本の称徳天皇も孔子を文宣王に敕封し、各地で祭るよう命じた。德川時代には、朱子学、陽明学などが日本で発展し、とくに朱子学は官学となった。

また、仏教において、継体天皇16年(西暦522年、南朝梁武帝普通3年)、中国の司馬達らが仏教を伝えるために日本へ渡った。仏教の日本伝来の始まりだという。これは野史の説である。正史の説では、百済を経由して日本に伝来したのであり、時期も少し遅い(一般に西暦538年、欽明天皇7年、梁武帝大同4年)。日本に伝わった仏教の大部分は中国化された仏教であり、日本に大きな影響を与えた。聖徳太子が制定した『憲法17条』は儒学をと尊ぶと同時に、仏教をも尊び、臣民に「三宝(仏法僧)を篤く敬う」ことを要求した。新政を進める中で、聖徳太子は大いに仏教を扶植し僧侶を招き、仏教寺院を建設し、仏像を営造し、仏法を盛んにした。小野妹子を使節として隋朝へ派遣すると同時に、仏法を学ぶために「沙門数十人」を派遣した。聖徳太子本人も、仏教経典を解釈する著作を書いたという。隋唐時代、中国の多くの仏教教派は相次いで日本に伝わり、また日本も唐王朝に行って天台宗、密宗を学ぶ僧侶がいた。宋元時代、禅宗における最も影響力を持つ教派―臨済宗、曹洞宗が日本に伝わり、迅速に伝播した。

中国から伝来した儒学と仏教は、日本において同様に吸收、更生、創造といった過程を経て、独特な風格を持つようになった。日本の儒学には独自の特徴を持ち、決して中国儒学の単純な復刻版ではない。外来文化としての中国儒学思想が日本に受け入れられるのに、もちろん選択と消化といった過程を経験した。これゆえ、日本儒学は、中国儒学とのルーツが同じであるにもかかわらず、日本での本土化によって元来のものと遥かに異なり、混同してはならないものとなった。例えば、中国伝統的な儒家思想には強い包容力と会通精神を持っていながらも、形式的には強い排他性も持っている。儒学の内部においても、異なる学派も絶えず論弁を展開し、正統を争った。これに対して、日本儒学は基本的にその他の思想流派と共存できた。日本の早期儒学から見れば、当時伝来した儒家典籍およびその注釈には、南朝系統のものもあれば、北朝系統のものもあった。しかも、その儒学が仏教および日本固有の神道(神祇)と調和的に共存することができた。

特に、中国仏教は日本において長期に亘る伝播、発展を経て、後に日本の伝統的な宗教、文化、習俗と結びつき、次第に民族化本土化を実現し、民族特色のある仏教教派、例えば、日本の天台宗、真言宗(密宗)、浄土宗、真宗、時宗、日蓮宗を形成してきた。中国から伝来した仏教はまた、日本古来の神道思想と同化、融合し、「本地垂迹」の思想、すなわち「日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現である」という説が誕生した。これらは、日本における仏教の本土化、民族化を促進した。

中国文化が朝鮮半島に伝わるのは、紀元前2世紀から始まった。朝鮮の三国時期には、儒学、仏教の影響が大きかった。儒学の面において、三国とも『論語』、『孝経』の学習を重視し、儒者の必修内容とした。新羅が朝鮮半島を統一し、儒学思想が続いて伝播と発展を得た。国学を設置し、貴族の子弟を唐王朝に派遣して儒学を学ばせた。高麗時期、儒学はさらに発展した。儒学経典は科挙試験の科目に決められた。高麗末期、珦安などの著名な儒者の努力によって、元朝から朱子学を導入され、広く伝播し、しかも本国の事情と結びつき、政治改革の精神的な武器となった。仏教が朝鮮の三国時代から中国より伝来し、数百年の普及を経てきた。高麗王朝時代には仏教が空前に繁栄し、「尊仏」は国策として定められた。この時、世界仏教史上にも名を馳せる典籍『高麗蔵』が現われ、その中には、中国語訳のインド仏教の経典や、中国の高僧が書いた仏経論著を収められたばかりではなく、朝鮮僧侶の仏教著述も数多く収録された。日本の場合と同様に、中国の伝統思想文化は朝鮮半島に大きな影響を与えたが、朝鮮半島に伝わった後、本土文化と融合し、独自の特徴を形成した。

日本や朝鮮に輸入されてきた中国の伝統思想文化は、吸收、更生、創造の過程を経験しながら、それぞれの文明の目覚しい進歩を促した。また、多くの分野や、様々なルートを通じて、中国に逆輸入し、中国伝統文化の繁栄と発展に寄与した。特に、宋代以降はなおさら顕著であった。例えば、日本では中国で散逸した典籍が数多く保存され、中には多くの貴重な儒学と仏教の文献がある。これらの散逸古典の逆流によって、中国の失われた文化遺産が取り戻されることができた。その価値を過小評価してはいけない。仏教文化の面で、唐宋時期に、日本から多くの高僧が説法するために中国へ渡った。中国の仏教は日本と朝鮮に影響を与えるとともに、日本と朝鮮半島の仏教文化からも影響を受けた。

前漢と後漢期にはまた、著名なシルクロードによって、中国とヨーロッパはつなげられ、その後の文化交流はますます頻繁になった。明朝万歴年間、カトリック教宣教師マテオ·リッチが中国に来た。これをきっかけに、中国と外国との文化交流は新たな発展段階に入った。マテオ·リッチは、儒家の思想を語り合うことを通じて、カトリックの教義を普及させるべきであると主張した。当時、中国の徐光启、李之藻らは、地元に欠けていた西洋の科学技術文化に注目し、マテオ·リッチらに協力して、大量の西洋科学技術および学術思想に関する書物を執筆し、翻訳した。逆に、中国の伝統思想文化も絶え間なく知恵の光を発し、ヨーロッパの啓蒙運動に一定の影響を与えた。

(孫犂氷訳、區建英校)

儒学と東アジアとの文化共有

北京師範大学教授 張昭軍

まず、新潟国際情報大学から今回の学術交流の貴重な機会を与えていただき、心から感謝する。

21世紀に入って、東アジア諸国には儒学のブームが現われている。韓国において、2000年10月から、韓国の国家放送局KBSは毎週2時間で、『論語』講座を放送して一年間も持続した。講座の担当者は、韓国の高麗大学教授の金容沃博士である。2006年、10月1日国慶節(建国記念日)のゴールデェンウィークにおいて、中国の中央テレビ局CCTVも7日間連続して「于丹の『論語』会得」という特別講座を放送し、市民の熱烈な歓迎を受けた。私の知っているところでは、2007年、中国学者·于丹の著書『論語会得』は日本語に訳されて、『論語力』というタイトルで出版され、ベストセラーになった。2008年1月、日本の福田首相は来日訪問の于丹に会見し、『論語』について親切に話し合った。これらは、儒学思想は当今の東アジアにおいて、類似しためぐり合わせと共通した現われ方があるということを物語っている。もとより、儒学が東アジアの共有文化となるのは、今日の情報社会の新しい現象ではなく、深い歴史的淵源があるのである。

儒学は2500年前春秋時代の中国に生まれたが、中国の特有するものではなく、朝鮮·韓国と日本にも儒学の長い発展史があった。遅くとも紀元前2世紀、朝鮮半島にはすでに『論語』を暗誦できる学者がいた。西暦4世紀初め、百済人·王仁は『論語』を日本に持っていったことで、日本の儒学史が開かれた。歴史的に見れば、儒学はまさに東アジア諸国の相互交流と相互影響によって発展してきたのである。ここで三つの事例を挙げる。

第1は、朝鮮·韓国の儒学に対する貢献である。学界とくに中国の学界は朱子学を論じる時、往々にして中国を中心とし、これゆえ、宋代の程朱理学から陽明心学に至るという単線的な構図を形成するのである。実際、朱子学は早くも中国の域を超え、東アジア諸国封建王朝の最後の共有哲学となった。中国の明代においては、朱子学が衰えて陽明学主な旗印となった。しかし朝鮮において、朱子学は衰えなかったばかりか、絶えず推進され、特色を持つ理学を軽視した。16世紀後期、朝鮮の学者·李滉(退渓、1501-70)らは、朱子学の「主敬工夫論」を大いに発展し、哲学の重心を「天理」から「心性」へ移し、人間を万物主宰の地位にと上昇させた。このため、「人間学」という説がある。李滉の学説は朱子学に対する転換と超越であり、性理学の内容を豊かにし、しかも中国と日本など東アジア諸国に伝わった。

第2は、日本が儒学の内包を豊かにしたことである。儒学が日本に伝来した後、日本社会の多方面に広く影響を及ぼし、しかも民族特色のある日本儒学を次第に形成した。徳川時代、山崎闇斎、藤原惺窩らは朱子学を神道と融合し、儒学をもって神道を解釈し、日本の神道文化史において特色を示した。儒学の角度から見れば、彼らは儒学の観点によって日本伝統の神道を解釈し、神儒調和、神儒合一を主張する。儒学の堯舜之道も日本の神道の実質と同様に、「民心を正しくし」、「万民を憐れみ」、「慈悲を施す」ものだと主張する。日本の儒学と神道との融合は複雑な問題であるが、一点だけ断定できるのは、彼らの神儒調和の主張は、本来神学信仰を欠いた儒学思想に宗教理論の色彩をもたらし、東アジアの儒学の携帯を豊かにした。

第3は、日本儒学の中国に対する影響である。清代に入った後、中国の陽明学はとても衰退したが、清末には復興の兆しが現われた。陽明学が中国に復興できたのは、日本の影響を受けたからである。陽明心学は日本の倒幕維新の志士に重大な影響が与えた。18世紀40年代、大阪で蜂起を起こした大塩平八郎は、思想的に陽明学の影響を受けた。倒幕運動の重要な志士·吉田松陰も、陽明学から思想的栄養を吸収した。吉田松陰の学生·高杉晋作、「維新三傑」の一人·西郷隆盛も、陽明学の信奉者であった。中国の梁啓超、章炳麟、宋教仁らは、日本が富強の道を歩んだ原因に陽明学の深い影響があると考えたため、陽明学を重視し提唱するようになった。

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